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ガクショウ印象論壇

同人誌用の原稿ストックを目的として、ラノベ読んだメモなどを書きちらすブログです【ネタバレだらけ】

さくら荘のSAPな彼女 ――朝まで生ソシャゲFINALと天才不要論と大人気ソーシャルゲーム「硬水のボルヴィック」

こないだ、『朝まで生ソシャゲ!FINAL~コンプガチャ後の世界 激動の一年を振り返る』っていう仰々しい名前のトークイベントがありまして。こないだつっても、4月のことなんで、もう2ヶ月も前ですけど……。

僕も仕事的に関係あるっちゃある(…無いっちゃ無い…)分野なので、友達?に誘われて、現世利益先走り汁垂らしながら新宿ロフトプラス湾まで行ってきたわん。

ソシャゲおじさん達的にはこの二ヶ月って「ラブライブ前」「ラブライブ後」なんで、もうサードインパクト前後みたいな感じで景色変わっちゃってるんですけど、まああまり考えずに当時のメモ書きを復活投稿。貧乏性。

まあ端的にいうと楽しかったっすー。色々な話があって。超満員だったし。
ただ、「コンプガチャ後の世界」ってサブタイ付いてるわりに、その辺はシャーッとダイジェスト的に流れておしまいだったのが残念。そのへんはシャーッと流して、ネイティブアプリのゲームの話にどんどんシフトしていき、その過程でパズドラはソシャゲだ派とソシャゲじゃない派が若干噛み合わない定義合戦になった印象。

最終的に、あ、これ噛み合ってない、って思ったときに、じゃあソシャゲについて考える際にネイティブアプリを扱うっていうのは功罪どんな感じ?って考えると

・ネイティブを扱うことで視野が広がってより深くソーシャルゲームを理解できるんだ派

・ネイティブとかもうコンソールゲームと何も変わんねーから議論が散乱しちゃってもうだめだ派

になるかなと思う。後述しますけど僕はどっちかというと後者なんですよね。
途中で暴れていた死に舞という人は第三極で、

・つーかブラウザとかクソすぎるんでそもそもゲームって名乗るのやめてくんない?派

という印象。だからじつは、あまりソシャゲ関係ないと思うんですよね。

・ネイティブ(の特性を活かしたすごいゲーム)はソシャゲなの?

って話をしてる時に

・むしろソシャゲはゲームじゃないからあんなの

っていう話をぶっこんでるわけですから……。でもパワポまで用意して、過剰に攻撃的なギャグで盛り上げていたので、面白い人だと思った。。。
音が出ないのはクソ、エロいのはクソ、あとファーストビューに収めないのはクソ。むう。確かに主の言うとおりじゃ。しかしそんなにちゃんとしたゲームがやりたかったらスマホ使わないで家帰るー、という人けっこういるのではなかろうか?
ぶっちゃけた話、彼の話は半ばぬるゲーマーに対する呪詛みたいなところもあったようにも感じました。お前らがクソゲーにクソって言わないからクソゲーが蔓延って俺が大迷惑、みたいな。

スマホでリッチでクリエイティブで……っていうのは一部の尖ったガジェット好きの要望なんじゃないかなーという気がする。そもそもなんでソシャゲがあんなア ホほど儲かってたのかといえば、普段ゲームしない人(それはゲームをする人の何十倍もいる)にゲーム(っぽいもの)を売ったからからであって、いってみれ ば指の無い種族にピアノを売る、DQNにビキニアーマーを売る、そういう画期的なビジネスだったからじゃない? まあたしかに「ユーザー間の競争が~」 「承認欲求が~」「自尊心が~」とかっていう要素もあるよ。あるけどさ、結果貰えるのは限定SRビキニアーマーじゃん?

ちなみに僕は、


こんなんつぶやいてたら司会の人に指されちゃったけど怖いから隠れた。

 


個人的には、ブラウザポチポチでしかない筈のところにいかにゲームっぽさ、ゲームやった感を込めるかというバトえん感、人形浄瑠璃感がソシャゲの(傍から見 ていて)面白いところだと思っているので、青山さん「そんなんリアルタイムで連鎖するパズルとか入れたら面白いに決まってるやん、反則やわ。神田君はホンマにズルイです」(さくら荘風)ってかんじ。
まあね、こういうゲーム外のソーシャル性のことを言い出してしまうとこの世の全てがソーシャルゲーム になってしまうんだよね。モバゲーのコバケン氏とかがよく言ってますけどね。「ドラクエだって、本当は学校で友達とドラクエどこまで進んだ的な話するのが 一番楽しかったじゃないか!」系のやつ。
登壇者の人も、ソシャゲとゲーセンコミュニティとの相似形について語ったりもしていたので、これはなかなかこうだ! と言えない話ですね。コミュニティ性がゲームの中に機能として実装されてるのか、それともゲーム外で補完されるのかという話。


コンプガチャ

あとコンプガチャ廃止の扱いも、モバゲーでは売上には別に関係なくてぇー、みたいになってました。けど、売り上げはそうかもしんないけどユーザー目線では果たしてそうかな?って。

つまりですね、コンプガチャと、その後の売上補填策のパッケージガチャ(とかボックスガチャとか)、どっちもただの博打なわけだけど、コンプガチャのほうは「小目標を達成していく感」がユーザにはあったと思うんですよね。
そ もそも景表法で絵合わせが禁止されているその趣旨として、「原理的に後半にいくにつれてどんどん揃わなくなるのにパッと見それが分からないというかむしろ 徐々にステップを積み上げてる錯覚すらあって詐術的だから」があるわけだけですけど、まず「絵合わせとかマジ騙されるわーこれは騙されてもしょうがない わー」って前提で法律ができてるところで驚くべきですよね。えっ、法律ってもっとニュートラルなんじゃないのみたいな。

たとえば「就職率 100%!!」って言葉に釣られて代アニ入って人生詰む人がいても誰も「あれはズルイ、誰でも騙されてしまう専門学校ビジネスの闇。円楽殺す」とは言わな いじゃん。騙されるほうも悪いバーカバーカみたいな話になりますよね普通。でもコンプガチャの場合は「なんて卑劣な騙し方なんだ! これは法律で取り締ま るべき」みたいなかんじでエェェェってなる。ほんまに神田君はズルいです(さくら荘風)。

まあとにかく、その段々難しくなって行くことこそが、いつも跳べないハードルを負けない気持ちでクリアしてる感で良かったんだと思うんですよね。おわーらーないー。
パッケージガチャだと、1枚引くごとにどれかのレアリティが1枚減る、っていう形だから、目が細かく刻まれすぎてて達成感無いと思うんすよ。
だって僕のまわり、「コンプガチャは楽しかった、パッケージはつまらん」って言う人ばっかりですよ。


■グリー自滅説

で、 僕の記憶が正しければ、生ソシャでは上記のように「コンプガチャ廃止とかべつに影響ないっしょ」みたいな話もありつつ、「GREEが落ちぶれたのはコンプ ガチャ(や未成年課金GENKAI-TOPPA等のソシャゲの悪評を一手に引き受けたこと)の風評被害」みたいな話も出ていた。どっちやねん。神田君。選 んで(さくら荘風)。
その際に出た話として、


まあこういう話もあって。
でですね、ここでちょっと脇にそれてさくら荘の話を。


■さくら層の意識の高い人材達 ――努力、才能、金

1、さくら荘はトレンディドラマ
ここで唐突にさくら荘の話をしたいんですけれども。
なぜというと、僕がさくら荘(途中まで)大好きだから。

ぼ くの身の回りの人間で、さくら荘を熱心に見ている層(さくら層)とそうでない層の間には、かなり明確な傾向がありまして、これどこまで一般化できる話か分 からないのですが、一言でいうと、ニート、自由業者はさくら荘、見ない。見ても特に揺さぶられたりしない模様。逆に、じゃあどういう人が見ていたのかとい うと、もう、これが恐ろしいほどに勤め人ばっかり。

さくら層の根幹はラブコメですが、ヒロイン設定の味付けをしたり、話を駆動する為のモ チーフとなっているのはもっぱら「創作」や「才能」ですね。で、その延長線の先に「職能労働」があるという意味で、「トレンディドラマ(死語)」という概 念が成立した当時のトレンディドラマに近いかんじ。

 つまり、仕事(夢)と恋人どっちを取るのか? みたいな対立が措定というか擬制とい うか、され、それが途中で「夢を叶えなきゃ恋も実らない!」みたいな話にすり替えられ、後半思い出したように「やっぱ仕事(夢)と恋人どっちを取るの か?」みたいなのが蒸し返され、で主人公が無理矢理どっちか選びかけるんだけど、それが原因で両方取りこぼしそうになって、反省して「夢を叶えなきゃ恋も 実らない!」に戻り、最後はその延長上に「夢も叶えて恋も叶える! それが海賊王だ!」みたいになって終わる。

トレンディドラマ的なものの作劇法に於いては、ようは上記の問題のすり替えの奇術師的手腕が問われるのだろうと思います。で、そこでいう仕事とか夢っていうのは、定量的なマニュアルレイバーではなくて、「正しい答えが存在しない」系のクリエイティブなやつに限る。
だからそこで活躍するのは、「やりたいことを <やりたいように> やって評価されている人間」。さくら荘においては、そこへのクローズアップがあるような無いような、あると思ったら焦点が合う前にぼやけてしまうような、なんとも言えないズラしで話が延命しているかんじ。


2、だっておれら本当にやりたいことなんて何も無いし
  作中では、ましろ(や上井草)たちは彼女たちなりに「猛烈な努力」……努力というよりは実践?をしている(ことになっている)わけなんですが、神田とか、 仁さんとか青山さんとか、クリエイティブの周囲にいた人間が最も痛感していることは <「努力(実践)がさほど苦にならない」> とか、 <そのぐらい寝 食を忘れて没頭できることがある> っていう才能なんですよね。
凡人は、好きなことをしている最中であっても夜中になれば眠くなるし腹も減る。それを誰かに言おうものならこう言われるんすわ「それは、本当はそんなに好きじゃないってこだよ」。
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。

 でですね。さくら荘っていうのは、生活のために自分を切り崩してる人に響くんですよね。
な んでかっていうと、つまりトレンディドラマだからです。前述のトレンディドラマにおける弁証法(仕事≒創作≒生活VS恋愛→両取り)って、仕事させられて る人間じゃないと響かなくないすか。いや、凄く深い瞑想ののちに作品に向き合ったら分からんけど、そうでもなければ働かされてない人にとってはラブコメの 障害物が「仕事」でも「使徒」でも一緒じゃん? 一緒っていうかむしろ仕事とかいう辛気くさい障害物より使徒のほう見たいでしょ普通。


3、「コードが一行も打てない人は『巻き込み力』を鍛えろ!(適当)」

 営業上がりで変に口だけ達者で瞬間的には上手くいっちゃってる事業の人が意識高い大学生相手にイイネ乞食するときに使う自己啓発フレーズがこちらになります。
  最近はVRMMOモノの流行で主人公がふつーに強い設定とかよくありますけど、ついこないだまではアニメとか漫画とかラノベの主人公って張飛みたいなやつ ばっかりだったと思うんですよね。だいたい1話に1回は「だって放っとけねえだろ!」とか言うやつ。で本人は中の上くらいで頑張るくらいしか能がないんだ けど、無能な主人公が周りの有能な人間とか天才とかのハブとして承認される(「あいつがあんな表情を見せるなんて一体どんな魔法使ったんだ?」とか「あい つはお前じゃないとダメなんだよ」とか)流れで毎回仲間が増えてく感じ。さくら荘でいうとたとえば、

「気づいてないようだから、教えてやるけどさ」
「俺、ですか?」
「美咲や、ましろちゃん、それに龍之介なんかと当たり前につきあえている時点で、空太は十分何かを持っている人間なんだと思うぞ」
「持ってるって……俺は普通にしているだけですよ」
「それが普通じゃないんだよ。個性の強い連中と付き合うのは、面倒だし、疲れるし、むかつくし、ウザイし……そういうのを飛び越えて人と向き合えるのは、間違い無くお前の長所だよ。その点は、俺が保証してやる」
(5巻P353)

  こういう傾向ってじつは、特に女性向けの作品に多い気がします。つーか乙女ゲー(の少女漫画由来成分/宮台真司が言う「乙女ちっく」的な要素)ですよね。 理由はたぶん、女性は頑張っても経済の主体たりえないことがほぼ確なので、そうすると自身で何か達成しても承認には結びつかず、それよかいかに社会的地位 の高い男性からの承認を得るかが全的な承認とほぼ同一になってるからだろうという。
 だからさくら荘もこの構図における男女を反転したものになり ますね。つまり主人公は何の才能も持たず、せいぜいが「放っておけないお節介な性格」程度で、そこにましろレペゼン天才が全的な承認を与えるという構図に なります。「天才・椎名ましろが傾倒する神田空太」であることで空太さんははじめて語るに値する大人物になれる。
 もはや男性であっても必ずしも経済の主体とはなりえない時代の産物ではないかという。
『さ くら荘』では他にも、なんでも絵画で表現しようとする=非言語的存在であるましろを形容するために、地の文と空田の説明セリフが増えるという転倒があらゆ るところで起きていて、そこに「絵が無いと成立しない小説を書いている」という著者自身の苦悩が投影されているような気もして、これも創作産業論の中に位 置付けてみると色々とメタフィクショナルな意味合いが生まれてきて趣き深いです。
 でまあ「コードがかけない人は~」とか言っちゃう人はスキル的 なものは基本何もないのでその後パッとしないままエンジニア達と物別れになることがよくあるかと思いますが、まあでも天才に勝とうとするよりは天才に好か れようとするほうが良いのでは? と思うんですよね。そう思うひとつの理由が次に挙げるようなお話です。


■天才不要論 ―遠慮は罪

  gloopsっているじゃないですか。すごい、、、大手のSAPの。爆速PDCAとか集合天才とか言ってる。まあたいがいのSAPさんってこういうこと言 いますよね。「KPI至上主義です」って。ドリコムとかもみんなそう。ってか集合天才はドリコムのほうだっけ? まあどっちでもいいんだ。要約して抽象し たら全部言ってること同じ。「ビッグデータが全て語っている(キリッ」的な、「感性に頼らず数値に基づいた運営(キリリンッ」とかその手の。
まあつまり工学主義ですよね。
よりくさして言うとマニュアル対応。前段の「GREEから多様性が失われ自滅」って話も、なぜそうしたかって「データみたらそっちのが売れそうだったから」って話なわけじゃないですか。
い や、すごいと思うんですよ、ちゃんとログから有意な変動を抽出して、仮説立てて実験して。でもその印象だけが一人歩きすると、『快感フレーズ』のライバル キャラで「日本人が好きな音楽をサンプリングして作った僕の曲が最強だ!」みたいな人がいたけど、あのノリになりませんか。
 しかもロジカルに!  データで! PDCAが! て言う、でもその割にあっち系の人って、自己顕示欲すげぇなと僕は思う。いや、gloopsが、ってことじゃなくてね、あく まであっち系統の話ね。合理性を標榜するわりには、明らかに非合理的なその「オレがオレが感」滅却できてないよねという。なんかこう、岩崎大介、もしくは 池田信夫
GREEの「ずっとコンシューマの人っすか。任天堂の倒し方知らないでしょ?」って都市伝説ありましたけど、あれなんか典型ですよね。 まあ捏造かも知れないけど、「橋本知事小学生にツイッター義務化」みたいなもんで、「あのへんの人達なら言っててもおかしくない」って思われたからあれだ け広まったわけで、ソシャゲ界隈の人って実際ああいう挑発的な言説好きですよね。

それって、天才は死んだとか天才は要らないとかそれ系の話にもつながっていくと思うんですが、要は天才に対する秀才(または凡人)の嫉妬だと思うんですよ。

中には、「僕らは天才じゃないんで、まあこうやって目に見えるとこから積み上げるしか無くて」みたいな学派もいるんだけど、トータル的には「データ! 仮説! 成功! 天才isデッド!」みたいなハシャいでた人が多い印象。
 それって天才に対する嫉妬の裏返しじゃないですか。ましろとか美咲先輩みたいな天才に対する嫉妬。クリエイターではない人達のクリエイション。


■おまとめ

  鈴木みその取材漫画で「世アニ的な学校がマジでヤバイ! 穴埋めで武器名とか設定させて企画書とか言ってる!」ってシーンがあったと思うんだけど、ソシャ ゲの設定ってアレを地でいく世界ですよね。システムは80%くらいの部分が共通なので、あとはタイトル「□□の△△△△」の□に漢字△にカタカナを入れなさい、的な。「硬水のボルヴィック」とかそんなん。せやけどそういう、設定面とかのクリエイティビティでは「またかよ」って感じの、本来なら「ラノベの新人賞ではヴァンパイアって単語が出た瞬間に落とす」的なフィルターに引っかかっちゃいそうなコンテンツでも月商何千万とか出た、っていうのは、けっこう解 放感のある話だと思ったわけです。少なくとも、クリエイターになりたかったら「おう! 好きなら最初の5年はタダで働けるよな!(迫真)」みたいな徒弟制 度しかありません、とかいう世界よりはずっと正義だと思ったわけ。
 なんの話だっけ……。
 ああそう、つまりですね、まとめますと、

・僕個人としては、ソシャゲというものを見るとき、現象面の「よくわからんビキニアーマー的な物体にオタだけじゃなくてDQNもお金使うようになったからメッチャ儲かった」というところから見るのが好き

・ そういう状況があったので、クリエイティビティ的な意味ではわりと中途半端な人がいろいろ出て来てたという状況ではあったと思うけど、そのぬるさから出て くるものとか結構好きだった。設定と絵だけあればいいやっていうある種のフェティッシュ、それはそれでそういうもんじゃないかと思う。攻略本眺めて楽しむ のと似てる

・上記を効率的に実現する為には畜群管理的なKPI主義が有効だった。ドゥルーズ的な。

・でもKPI「至上」主義は天才クリエイターへの嫉妬の裏返しでもあるように思う。ここでいう天才っていうのはまあ椎名ましろさんとか。

・まあでも天才じゃない人は天才に勝とうとするより天才から求められるのを目指す感じでいいんじゃない?


あんままとまってないですけどー、忘れないうちにメモっとく感じで今日はこのへんで。