ガクショウ印象論壇

同人誌用の原稿ストックを目的として、ラノベ読んだメモなどを書きちらすブログです【ネタバレだらけ】

アニメーション映画『ハル』感想 ヒューマニズムの危うい均衡

だいぶ前(本当にだいぶ前)、細谷佳正日笠陽子主演の中編アニメーション映画、『ハル』の試写会に行ってきました。監督は『四畳半神話体系』などの絵コンテをやっていた牧原亮太郎、脚本は『野ブタ』(古いか)とかの木皿泉。あと大事なことですが、サブキャラに宮野真守。僕は、べつに関係者とかではなく、単に知人の声オタ(細谷推し)が券を余らせたというので、行ってきました。ほそやんの私服はダサかった。木皿泉(片方)は、こう、青コーナー、50ぱぅーんど、おばっさ~ん! って感じ。

 

 以下、盛大なネタバレを含みますのでご注意ください。ふだん僕はとくに断りもなくネタバレをばんばん書いているのですが、今回、わりとそこ頼りな作品の為。

 

 

 

■1 朝ドラ風のなにか

 この映画の舞台は京都です。冒頭は京都の山間部で年老いた職人が藍染めを行っているシーンから始まります。見終わってみればトータル一時間程度しかないこのフィルムにおいて、この藍染めのシーンはやや長すぎるといってもいいくらい丹念に描かれています。その老職人に付き従っている、弟子あるいは丁稚のような人物は、カタコトの日本語を話しています。このシーンは、朝ドラ的なお約束でケレン味を効かせると同時に、この作品が人間の文化あるいは文化的なるものを重点的に描きつつ、「継承者不足の伝統工芸」に象徴されるような、現実の経済原理に即して動くことを予期させます。

 藍染めが一段落したところで、職人の背後の空で、飛行機が爆発します。このシーンはあまりに性急な展開とも相俟って、質の悪いギャグか、あるいは演出の失敗のようにすら見えるのですが、見終わってみればこの唐突さにこそ意味があるようにも思えます。話を進めましょう。

 

 場面は変わり、ロボットがハルという青年の外皮を着せられて起動するシーンになります。ハルは飛行機の爆発で死んだ青年であり、ハルの死によって引きこもってしまったハルの恋人・くるみの精神医学的な治療の為に、ハルのロボットが採用されたことが語られます。ここからこの映画は、「ロボットのハル」がいかにくるみのワガママに献身的に付き合うか、といったシークエンスを語るのですが、その際に都度都度ハルの手助けをするのは京都の町の古い住民であり、デイケアセンター「狐狸庵」の老人達です。ネトウヨが聞いたら発狂しそうな施設名ですが、これもある意味では日本社会のなかのマイノリティ(まあネトウヨに言わせれば朝鮮人はマイノリティでは無くパチンコ利権とソフトバンクの割引プランで日本を影から実効支配している勢力なのですが)の互助コミュニティを連想させるネーミングと言えなくもないですね。まあとにかく、ここでデイケアセンターの老人達は、棄民達が身を寄せ合うことで文化的な生活を守っているという、まあコミュニティものの定石パターンを踏襲してくれます。なんつーか、ボロを纏えど心は錦、的な、これからの浮き沈みも歌えば楽しYeah(B'z)的なやつですね。老人達のコミュニティは、終の住処として非常に楽天的に描かれています。

 

■2 スイーツ女、カルチャーを語る

さて、ロボハルとくるみのやりとりが続き、かつて人間として生きていた頃のハルとくるみのエピソードが断片的に挟まれます。そこでのハルは「金を持たないことがいかに惨めか」を語り、一方のくるみは「収入は少なくても慎ましく楽しく暮らせる」と言うようなクソロハスイーツなフワフワプランを語ります。このくるみの主張は、自分の手芸店(?)を持ちたいというような夢とセットで語られ、一方でハルの言葉は、自身が奴隷階級からの成り上がりであるという事実をバックボーンとして語られる為、くるみとハルの食い違いは「夢VS現実」の様相を呈します。

 

この辺りから、物語は徐々に居心地の悪いものになって行きます。2人の外側にいる視聴者にとって、ハルは圧倒的に経済的現実を背負っているのに対して、くるみは明らかに現実の見えていない糞女なのですが、同時にくるみが前述のデイケアセンターを始めとする地域住民の為に行ってきた様々なことには、確かに愚直にヒューマニズム的な誠実さがあり、金の為に物件を売り渡してしまうことはそのヒューマニズムの喪失であるというような実感を与えます。「夢VS現実」であったくるみとハルの闘争がはより先鋭的になり、「文化的倫理性VS経済的合理性」の形へと変化します。

「文化」とは、冒頭で延々と描かれた藍染めであり、京都の古い町並みであり、デイケアセンターで朗らかに過ごす、役目を終えた老人たちの生活であり、くるみの送りたかった慎ましくも幸福な生活です。

「経済」とは、ハルが出自として語る奴隷労働であり、奴隷労働の裏付けとして語られる「機械はメンテナンスが必要だから最も危険な仕事は人間が行う」という冷酷な資本主義的マネジメントであり、その犠牲となっていた幼少のハルです。

はじめは「貧乏な生い立ち」程度に匂わされていたハルの出自は、ここで唐突に、『ナチュン』ばりの凄惨な、掛け値無しの奴隷労働として描かれ始めます。ここでハルの言う「金を持っているとみんなが優しい」という言葉は痛烈です。ここでいう「みんな」は、明らかに「くるみの人間性/文化性を称揚する京都の町の人々」であり、そしてその人々の「人間的」な生活は、ハルのような奴隷がいることによって成り立っていることが視聴者に暴かれてしまっているからです。つまり、冒頭から幾度となく提示され、物語の基調を為すかに思えていた「文化VS経済」の構図が、ここで「文化⊂経済」に突如変わってしまうわけです。

 

■3、世界は誰かの奴隷で出来ている

ハルの過去が語られ、くるみの夢が間接的にハルのような無数の犠牲の上に成り立つものであることが暗示されると同時に、ハルと同じ現場で奴隷労働に従事していたリュウという青年が登場します。リュウは怪しい男達に追われ、逃げながらも飄々とした言動でハルに語りかけてきます。普通のアニメであれば、リュウのようなキャラクターは、言ってみれば両津勘吉のようなもので、様々な悪事を働きつつも最後はその責任は有耶無耶なままご破算になり、周囲もそれを「なんだかんだで憎めない」トリックスターなのですが、この作品においてリュウの登場は、ここぞとばかりに投入された宮野真守の怪演の甲斐もあって、明確に不吉な空気を纏っています。そして視聴者にとっては、これも通常のアニメの想定から外れる、居心地の悪い展開になっています。

リュウの、冗談にしては度が過ぎる(アニメのセオリーに馴れた視聴者は、この期に及んですらまだリュウの行動に両津勘吉性を期待してしまう……)行いが、リュウ自信によるネタばらしによってただひたすらシリアスなまま収束し、そこで明かされる●●が●●●●であるということを以て、今まで視聴者がハルの「献身性」だと思っていたものは、ハルの外側の視点から見てみればただの利己的行動(二人の生活を再演したいという抑えがたい欲求)にすぎなかったということが暴露されます。

くるみとハルの、「経済VS文化」のすれ違う諍いは、すれ違うどころかくるみの事実誤認(本当は「文化⊂経済」)であると明かされた後、更にもう一段階、くるみの欲望の下部構造であったハル自身が、実はそのくるみとの人生を行き直したいという欲望を持っていた、という、クラインの壺的な位相のねじれを持っていることが分かります。

そしてその曖昧な境界は、冒頭の「テロ」による飛行機爆発でなし崩しになり、アガンベン的な例外状態の中でハルの「経済」の延長線上にある欲望(あるべきだったくるみとの幸福な生活の残骸)だけが前景化することで再びフラットな地平に回帰しています。

 

テロとは貧困によってもたらされるものです。それは経済資本の貧困が解放戦線の出で立ちで表れることもあるし、象徴資本の貧困が宗教紛争の様相を纏って表れることもあります。あるいは両方の貧困がもたらす想像力の貧困であったりします。例えばオウムのようなものですね。

くるみが抱いていた儚い文化性は、今となってはハルの経済性(テクノロジーを前提とした幸福で負荷の少ない生活)の中に包摂され、欲望のサブジャンルの一つに成り下がっていたわけです。成り下がった、というよりは、その二人が言い争っていた段階で既に構造としては浮かび上がっていながら、なおも想像的にはタイマンを張り続けていたものが、いよいよ現実の暴力の前にその関係性を固定したというような形です。

 

 

■4まとめ

奴隷労働やテロ(自然に考えるなら、これは奴隷労働が存在するような経済的格差によって招来されている)などの凶事が時たま顔を覗かせながら、なお社会が平然と営まれているという現実と、その中でたまたま凶事に遭遇したことで不意に平衡を欠いてしまった一人の人間にフォーカスし、寓話的に描いたものが本作でした。

この物語は、我々のコミュニティも文化も人間性も互助も、全てはしばしば犠牲を伴った危うい均衡の上にしかないことを示しています。では、現状危うい均衡の上にあるから、あるいは残忍な児童搾取や格差の上にあるから、我々の文化は欺瞞でしか無いのか。何の価値も無いのか。というと、それもまた短絡的で謬りなのだということが示されています。ラストシーンでは、最終的にくるみの死を直視したあとのハルの平穏な生活と、くるみの菩提に手を合わせるハルの姿が肯定的に描かれています。

くるみの死を受け入れることを、ある種の通過儀礼(にすぎないもの)として予定調和的に社会内に位置付けるのであれば、それは経済的合理性の全面勝利であり、優れたリスクファクターマネジメントであり、くるみとの死別は結局は単なるハルの成り上がりストーリーの一部分、付属物となり下がります。ではその反対はというと、ある種の否定神学に陥るけれども、くるみの死を合理的に咀嚼した後にも、ハルの中に残る歪なくるみの人格や、結局はそのくるみへの執着が捨てられなかったハル自身の合理性の綻びであって、それはくるみの文化性を信頼するなら、作中の遠い未来に奴隷労働を根絶する啓蒙の光になる(あるいは本当にくるみがスイーツクソ女に過ぎないならば、それはそれで見て見ぬフリのまま素敵な私お店が営まれていくだけなのですが……)ものであり、そのどちらが優位となるかは、ハルという一人の中でどうなるのかと言うよりは、ハルに投影された我々の意識次第なのでしょう。

しかしそれを十分に説明するには尺が足りなかったように思いますね。

 

革命力71。

GRANRODEOの『RIMFIRE』=反原発という妄想

The Other self(アニメ盤)RIMFIRE

 

声優の谷山紀章さんことKISHOWが取り組むGRANRODEOの新曲『The Other self』が発表されまして、黒バス二期のOPになり、作画なんか凄いを通り越して気持ち悪い(凄いを通り越さなくてもとりあえず気持ち悪い)感じで非常に良いのですが、それをほわーっと見ていて、昨年に発表されたGRANRODEOのシングル『RIMFIRE』についてほわほわーっと考えたことを思い出した為、ここに書き記さんとす。

なんか去年、『RIMFIRE』が出るちょっと前ぐらいだったと思うんですけど、坂本龍一が産経新聞に熱烈に叩かれて話題になってたんすよ、反原発だからつって。でもミュージシャンにはどっちかというと反原発が多いというか、ロックな人とかは特に、不謹慎な言い方するとようやく「反抗するべき対象」が見つかってイキイキしてた感すらあったんですよね、当時。
それと比較して声優の静観っぷりといったらすごい、今も当時も。軽くぐぐったけど山田栄子Twitterの名前に「反原発」って付けて叩かれてたくらいしか見つかりませんでした。
勿論今ぶいぶいイワしてるたいがいの声優って、主要なファン層がネトウヨ層と被ってるから、っていうのもあるのかと思ったんですけど、それなら逆に原発推進を明言してファンに媚びるっていう方向性もありうるわけで、それすら行われていないところを見ると声優っていうのはマジでノンポリなんだと思い、それが良いとか悪いとかではなく単純に興味深かったんですよ。

 ミュージシャン、特にロックな人たちが反原発になりがちなのって確かに浅薄っちゃ浅薄なんですけれども、そもそも<ロック的な価値観>の、有無を言わさぬ強度とか魅力ってそういう浅薄さ、脊髄反射感と表裏一体だったわけで、「浅薄だからダメ」って一概に言えないと思うんですよね。まあ坂本龍一は主にテクノな人で、テクノってその発展系のエレクトロニカとかドローンとかも含めてインテリ寄りというか、そもそもそ電子的な知識が要る場合も多くIQ高め(とされる)の音楽なので、雑に政治色出すのが許されないというか、出ると一気に文化左翼臭が鼻につくってのもあるわけですけど……。
 ほんで産経新聞みたいに、いやしくも文化欄とか抱えて大新聞、全国紙を自認するなら、フリでもいいからそういう文脈を「私どもも頭ではわかってますがね、」って顔してからじゃないと、政治的主張以前に「新卒かな?」って思われちゃうと思うんですよ。まあ新卒に任す欄じゃないのはさすがに知ってますけれども、っていうか産経に文化欄ってあったのか? っていうか文化欄が無い新聞ってのもあるのか? わからない。なんかむかし呉智英が「産経新聞は大衆の心を理解してるから全国紙で唯一占いコーナーがある」って指摘してたのを思い出しましたけど、とにかく文化欄があるのかどうかは不明。
 それに当時の産経の記事みたいに「電気を使って自己表現してるんだから電気の批判すんな」みたいな理屈だと、ロジックとしては「子供は親にどんだけ虐待されても逆らっちゃだめ」みたいな話になると思うんですよね。だって産んだの親だから仕方ないよねって。でも時系列上の因果律と責任上の因果関係って、相似形になってるだけでモノとしては完全に別物じゃないですか。JavaJavaScriptぐらい違うでしょ。だからあの、全国紙に書いていいことじゃないと思うんですよね。教授批判をするにしても、もっと別なの無かったのか。新聞らしく「眼鏡、オシャレでない オシャレ文化人なのに」とか、そういう批判があってもよかったのではないか……。

 そんな中GRANRODEOの新曲(当時)が発売されまして、オリコンデイリーにも入っていて、曲も大変カッコ良く、ファンとしては嬉しい限りだったんですが、この曲の歌詞で一カ所だけ、前後の文脈と照合して全く意味が分からない箇所があるんですよ。それが「文殊の智慧も悪魔のように」って箇所です。『RIMFIRE』っていうこの曲は、インタヴューとかも参考にすると大筋で「(自らの)小賢しい知性が、手抜きや妥協への誘惑をしてくるけど、初期衝動に忠実であれ」っていうような意味かなーと思います。それ自体は黒バス全体のテーマとも共鳴していて、より強い無理目の相手にぶつかっていく、っていく少年スポーツ漫画の基本原理ですから、今更何を言うものでも無いんですが、まあそれはそうとして唐突に「文殊の智慧」と言い出すのがよく分からない。
勿論この曲以前以後にも「極寒の文豪よ何故に老婆を殺した」(=ドストエフスキー)(『進化と堕落の二元論』)とか、「一番影響受けた本は銀行の預金通帳だろ」(=バーナード・ショウ)(『Y・W・F』)とか、それっぽいオマージュや引用句を持ったグラロデ曲は色々あるんですが、『進化と堕落の二元論』は安吾やソクラテスにも言及しながらそれこそレトロな文学青年風の語彙で当世を揶揄して見せるという昭和のアングラ風刺劇風の曲ですし、『Y・W・F』もタイトルが「良い子・悪い子・普通の子」の略である通り、頭でっかちに悪ぶってみたところで所詮「普通」の枠組みから逃れられない、悲しい「都会的」な生を呆れつつも愛する、という一貫したテーマのライン上にこれらの引用句を乗せているんですよね。それに比べた時に『RIMDFIRE』の「文殊の智慧も悪魔のように」の意味不明さがあまりに異質なわけです。
 ただの「知恵」じゃなくて「文殊の」だから、慣用句に従って「3人寄れば」だとすると3人でどうにかこうにか切り抜ける的な作中描写があればそれを参照してるってことなんですが、あんまそういう描写無かったですよね(まあ本編はBGV的に流し見してるだけなんで確証無いですが)、というより、デュエットCDが出まくってるのとか、犯罪予告が「腐女子に人気があって云々」みたいな口上で出てることからも分かるように、黒バスの基本的な構成単位って2人(というかホモカップル)であって、つまりここで言う「文殊の智慧」というのは「3人寄らば」の含意ではない。では何なのか、と考えるとあとは高速増殖炉もんじゅぐらいしか思いつかないわけですよ!

たまのやる気もディスカウント だらしねえmyモチベーション
文殊の知恵も悪魔のように
 
焚き付けられてからようやく顔を出した導火線だって
吹き出す炎の中でビビってどうかせんといかんが

我先に挑め かさばる意図へ手を伸ばして
ひとつになる決心を

どうかせんといかんが、ってダジャレなんだけど、同時に「この箇所に二重の意味がありますよ」っていうメタメッセージとも取れなくもない。
そもそも谷山紀章自身が、震災以降のZEPP TOKYOでのライブ時に「ZEPPっていうのは、全電力を風力とか自然エネルギーで賄ってるんですよね。まあ、だから何だって言うわけじゃないですけど。僕はそれ以上は言いませんけど」とか、なんかそんなこと言ってたので、あながち間違いでは無い気がするんですよ。つっても紀章はインテリなので皆まで言う無粋を心得ているので、自分では絶対言わないだろうし、指摘されても「そうだよ」とは言わないだろうし、もし本心に反原発的なあったとしてもそれをこういう外野からラベリングされるのとか超嫌がりそうですけど。

とはいえ所謂「ロック的な心性」で原発を解釈した時、「今が良ければそれで良い! 明日の事は明日の俺が考えるぜ!」という享楽的な方向性でいけば消費社会万歳、ありがとう原発! な方向に行くし、システムから疎外された俺達! 夜の後者窓ガラス壊してまわる! って方向にいけば脱資本主義、ヒッピーカルチャー的な方面に行ってファック原発! な方向に行くのでそもそも両義的なものであり、したがって問題の本質はGRANRODEO反原発かどうかというよりはロック的な心性の脱中心性と可塑性そのものにあるのですが、まあとにかく私個人としてはどっちかというと原発行政(に代表されるパターナリスティックでギャンブル的な地方統治)が嫌いなので、そこから大好きなGRANRODEO反原発性を読み取ってみるという傍迷惑な試みが今日も続いております。

『僕らはイタい生き物だ。』1巻全否定感想 オタクの報復心理で飯を食うな

僕らはイタい生き物だ。1 (電撃コミックスNEXT)


最悪につまんない上に全編に渡って底の浅い護教神学が充満してんだよ誰か窓開けろよ!早くこっから出せよ!(藤原竜也風に)

1、前提
基本的に、現段階では、ああ、ひどいな、以外の感想が出てこないんですが、それでも偉大な先人の業績を継承している部分もあって、しかし継承したそれをよりよってこういう使い方しちゃうでござるかコポォwwwとなり、よりひどさが加速する方向にしか作用してなくて色々因果だなぁと思いました。
先人の業績とは何かというと、いわゆる(コミケにいるような)オタクっぽいオタクに評論を加えようとしているときに鉄オタとかミリオタの話をし出したり「どんな趣味も突き詰めればオタク」みたいに糞の役にも立たない道徳の教科書みたいなこと言い出す奴をどうやって仲間外れにしようか、という悩みの局面で斎藤環が行った「ぶっちゃけ二次元で抜けるのがオタクかどうかの違いだと思うよ」という指摘であって、これの何が偉大かというと、まずこれがオタ系の言論人が「思ってても言わなかった事」なのと、そういう定義がむしろオタク擁護の中から出て来たことの二点であります。
それ以前のオタク言説というのは未だに宮崎事件を引きずっていて、何が何でもオタクを「性的な意味で」マトモかマトモじゃないか、という軸で争っていたのですが、斎藤環は肩書きも活かしつつ「まぁマトモじゃないと思うけど実害無いっしょ」的な過不足無いまとめ方をしていて、というか精神科的な立ち位置から言うとオタク/非オタク関係なしにマトモな人間などこの世には居ないので囀るなアホども! という感じだったのですね。そのへんに関してラカンとかも援用しつつ、二重見当識(例:アニメキャラを限り無く実在に近いものとして扱うが、それと本来対立するはずの作者や制作スタッフにに関するゴシップも好きだったりする。エロ同人の中では飲尿シチュエーションが好きだが現実には尿など見たくも無い。等々、矛盾するいくつかの現実をレイヤー分けして共存させる認識能力)が発達していることと二次元で抜けることの間にある程度関連性があり、そしてそれは、昔からあるエロ劇画(単なる「二次元『絵』」)で抜く事自体は珍しくないけれども、オタクが二次元で抜くときはまさに「二次元のまま」抜いてて、おっさんが劇画とかで抜くときにそれが現実のシミュレーション(代用)であるのに対し、オタクはまさに二次元自体を最終的な性的対象にしているということに他ならない、的な感じのまとめを行ったわけです(東浩紀の性行動を観察することによって)。

この時期のオタク評論界隈というのは、旧エヴァ以降・ハルヒ以前・エロゲ&同人全盛期で、しかも本田透とかいて、宇野常寛がホームページビルダーでレイアウト崩壊してて、オタクVSサブカル論争っていう今からすると論争未満の意味不明なポジショントークが流行った時代だったので、「何でも突き詰めればオ(略」とか言い出す人って話を一周遅らせるだけなので本当に邪魔だったんですよね。しかもタチが悪いのは、「だからアニメオタクだけが『オタク』と呼ばれて蔑まれるのは納得いかない」みたいな、主に(自称)オタク側の自己弁護に使われるロジックだったんですよねこれが。あるいはオタクの外側からの援護射撃で作家とかミュージシャン的な人とか養老孟司系が物分かりの良いつもりでこういうロジックを新聞の文化欄とかで使う場合もあったんですが、とにかく終わってたのはそれを言うことがオタクの擁護になると思われていた点です。つまり、オタクは自らを擁護するためにはむしろ意図的にオタクの定義をブレさせなければいけなかったわけですが、ここで斎藤環はむしろ定義を厳密化し底を見せてしまうことで逆にオタク擁護が可能であるという発想の転換を行ったわけです。

当時のオタクの生活を「リアリズム」的に描写したものとして『げんしけん』がありますけれども、中でも特に「リアリズム」に寄った描写の多かった前半では、まず笹原のエロ同人に対する興味が解放されてゆく過程が、ほぼ無いに等しいストーリーの駆動要因にすらなっていたのが懐かしい限りですが、とにかく(狭義の)オタク=「二次元のキャラクターをマジに性愛対象にしてる人」という、今となっては当たり前すぎて誰も言語化しないような前提を整備したのが斎藤環でした。まあ、斎藤環がやらなかったら別の誰かがやってたんでしょうけど、とにかく①それなりに権威的なバックボーンのある人が②擁護の立場で③セクシャリティをもとに④オタクの定義を更新する、という営みの上に我々の「嫁感覚」は成立しているし、その嫁感覚を所与の物として為される全ての発言や創作は「それ斎藤環が言うまで無かったことになってたから」と言いたいわけです。


2、ここで弱・強・弱
んでまあ漫画本編の話に入りますけど、すげーつまんねーからあんま言うこと無いんスよね。
とりあえず読んでて「は?」と思ったのは、ある時期までの「オタクもの」(『妄想戦士ヤマモト』とか)が仮構していたオタクVS「一般人」(弱者対強者)の構図がオタクVSアンチ・オタク(強者対弱者)の構図に切り替わっているんですね、この漫画の場合。
オタクは「打ち込む対象」が有るから強者であり、たとえば主人公のように「打ち込む対象」から見捨てられた弱者に優越する存在である的な構図が全編で反復されるわけです。
冒頭に出てくる友人・臼田は「イケメンという権威」がじつはオタクだったという(ありがちな)形でオタクの「強者」性を増す為のキャラクターですし、直後に主人公がオタクをバカにする→オタクに反論される→発達障害っぽいテンプレ回答をする「愚か」な主人公の姿を読者に対して晒し上げる、という一くさりの後、P26で異様にコスモポリタン的な妹から「いちいちオタクと非オタクに線引きをして気持ち悪がっている兄のほうが器が小さい」というような趣旨のことを言われます。平均的な社会性を具えていれば、というか普通の漫画ならこの時点でもう「改心」している所なのですが、こうした<主人公の狭量さが指摘される→主人公が教条的なリア充信仰によってその指摘を退け、より信仰を深める>というようなモチーフの反復がこの漫画では繰り返し繰り返し描かれます。それは本当に執拗にで各話2~3回はこうしたやりとりがあって、まるでミニマルミュージックだ……。
しかし、こういう「謬り」を告発し、晒し上げ、嘲笑った後に赦し、帰化帰属を認める(しかし主人公は「まだ○○までは認めたわけじゃねーからな!」とか言う)というような流れで溜飲を下げるタイプの読者ってまだ居るんだろうか。まあたぶん「お母さんが歌い手さんバカにするからRT」みたいな層だと思えば良いんだろうか。
ちょっと本筋からズレるように聞こえるかもしれませんが、こういう論展開の作品の場合、読者(そこそこ不細工)が想像的に帰属するための「イケメン(美少女)だけどオタク」という存在が仮構されます。「リア充できる筈なのにオタクをやっている人間がいる、だからオタクというのは逃避のルートではなく、主体的に選択されうる生き様である、それを選んでいる私も当然、屹立する主体である」というような展開の為の物証になると思っているのでしょうが、いい加減やめたほうがいいと思うんですよね。だってその論法を使った時点で疎外されていると言わざるを得ない……。
まあでも、オタクの集団心理というのは現状そうなっている……というか、まず、なんかこうパッとしない奴が二次元を媒介項として今やマジョリティの「オタク」へ帰属し、更に自らが所属するマジョリティを一旦「世間の無理解」に対置することでマイノリティに偽装し、「マイノリティだからこのぐらいやってもいい」的な報復心理を楽しんだ後、更に少数の「見栄えの良いオタク(見栄えのぶん、「世間」よりも上位、もしくは「世間」の中の上位にいる)」を担ぎ上げて、そこに精神的に同化することで自己の輪郭を保っている感ありますが。そもそもこういう話には「オタクに理解がない人物」っていうのが紋切り型で描かれてるんですけれども、そういう人物はだいたい「オタク=宮崎勤」的な発想をしてることになってるわけで(まさに本作の主人公とか)すけど、でも前述のような心理的インセンティブを提供していることからして、今やオタクというのは暴力的な準多数派です。


3、褒める……と見せかけて
まあ散々糞糞言ってきましたけど、73ページでデブ女が「マジすか…」と言いだす所だけは出色でした。それは前述のような自己弁護のセオリーから逸脱し、唐突にリアリスティックな人物描写が入ってくるからです。読者に提供するコンフォートの一つとしてあるあるネタで「オタク女のリアルなリアクション」を描こうとした結果、作品全体を貫徹しているドグマ(弱者のフリをする強者としてのオタク)を、知らずに侵犯してしまっているのが素晴らしいです。
同様に、劇中劇の『超ガッタイテニスRPGワンダブルス』は巧みです。「児童向けとして作り、きっちり児童の客を取りながらも、容易に性交のメタファーや代替物として解される濃厚で批評的な関係性とギミックで大友や腐女子を取り込んで顧客単価を高める」という、プリキュアやイナイレが実践し続けてきたマーケティングを余すところなく戯画化しており、それこそ本作の中で最も、というか唯一に近い形でオタクのセクシュアリティ(の隣接領域にある商圏)をしっかり扱っています。
しかしながら、P19「ぜ んぜん わかってない」「二次元にっ 恋することが 逃避なんて」と二次元のキャラクターへの情愛の存在を持ち出しつつも、セクシャリティに直結する要素からは目を逸らし、帯にも引用されているP20「この恋は無理ゲーなのに」という口当たりの良いネットジャーゴンへ繋がっていくわけなんですが、もう、何が一番嫌かって、結局このNHK紅白歌合戦の余興みたいな薄ら寒さ、ぞわっと来た。第伍回ゾッとするほど中二病が考えたっぽい武器名選手権の「いらっしゃいませ敗者様(おきゃくさま) 大気圏外(VIPルーム)へお連れ致します」に匹敵する寒気。
オタク特有のジャーゴンを用いることで軽さの中に軽さゆえの(=気取っていない、素の、心からの)真剣さを表現したつもりなんでしょうけど、コピペ等のネットジャーゴンはその起源が掲示板であるからして、任意でない文脈の中に媒介項を見出して投下タイミングを作るから面白いんであって、こういうオチありきで作られた(っていうか作れてないけど)会話って最高に寒いっすよね。そんなんじゃ甘いよ。もっと淫夢スレでも見て勉強してもらってさ、終わりでいいんじゃない? ハイ、ヨロシクゥ!

革命力11。

さくら荘のSAPな彼女 ――朝まで生ソシャゲFINALと天才不要論と大人気ソーシャルゲーム「硬水のボルヴィック」

こないだ、『朝まで生ソシャゲ!FINAL~コンプガチャ後の世界 激動の一年を振り返る』っていう仰々しい名前のトークイベントがありまして。こないだつっても、4月のことなんで、もう2ヶ月も前ですけど……。

僕も仕事的に関係あるっちゃある(…無いっちゃ無い…)分野なので、友達?に誘われて、現世利益先走り汁垂らしながら新宿ロフトプラス湾まで行ってきたわん。

ソシャゲおじさん達的にはこの二ヶ月って「ラブライブ前」「ラブライブ後」なんで、もうサードインパクト前後みたいな感じで景色変わっちゃってるんですけど、まああまり考えずに当時のメモ書きを復活投稿。貧乏性。

まあ端的にいうと楽しかったっすー。色々な話があって。超満員だったし。
ただ、「コンプガチャ後の世界」ってサブタイ付いてるわりに、その辺はシャーッとダイジェスト的に流れておしまいだったのが残念。そのへんはシャーッと流して、ネイティブアプリのゲームの話にどんどんシフトしていき、その過程でパズドラはソシャゲだ派とソシャゲじゃない派が若干噛み合わない定義合戦になった印象。

最終的に、あ、これ噛み合ってない、って思ったときに、じゃあソシャゲについて考える際にネイティブアプリを扱うっていうのは功罪どんな感じ?って考えると

・ネイティブを扱うことで視野が広がってより深くソーシャルゲームを理解できるんだ派

・ネイティブとかもうコンソールゲームと何も変わんねーから議論が散乱しちゃってもうだめだ派

になるかなと思う。後述しますけど僕はどっちかというと後者なんですよね。
途中で暴れていた死に舞という人は第三極で、

・つーかブラウザとかクソすぎるんでそもそもゲームって名乗るのやめてくんない?派

という印象。だからじつは、あまりソシャゲ関係ないと思うんですよね。

・ネイティブ(の特性を活かしたすごいゲーム)はソシャゲなの?

って話をしてる時に

・むしろソシャゲはゲームじゃないからあんなの

っていう話をぶっこんでるわけですから……。でもパワポまで用意して、過剰に攻撃的なギャグで盛り上げていたので、面白い人だと思った。。。
音が出ないのはクソ、エロいのはクソ、あとファーストビューに収めないのはクソ。むう。確かに主の言うとおりじゃ。しかしそんなにちゃんとしたゲームがやりたかったらスマホ使わないで家帰るー、という人けっこういるのではなかろうか?
ぶっちゃけた話、彼の話は半ばぬるゲーマーに対する呪詛みたいなところもあったようにも感じました。お前らがクソゲーにクソって言わないからクソゲーが蔓延って俺が大迷惑、みたいな。

スマホでリッチでクリエイティブで……っていうのは一部の尖ったガジェット好きの要望なんじゃないかなーという気がする。そもそもなんでソシャゲがあんなア ホほど儲かってたのかといえば、普段ゲームしない人(それはゲームをする人の何十倍もいる)にゲーム(っぽいもの)を売ったからからであって、いってみれ ば指の無い種族にピアノを売る、DQNにビキニアーマーを売る、そういう画期的なビジネスだったからじゃない? まあたしかに「ユーザー間の競争が~」 「承認欲求が~」「自尊心が~」とかっていう要素もあるよ。あるけどさ、結果貰えるのは限定SRビキニアーマーじゃん?

ちなみに僕は、


こんなんつぶやいてたら司会の人に指されちゃったけど怖いから隠れた。

 


個人的には、ブラウザポチポチでしかない筈のところにいかにゲームっぽさ、ゲームやった感を込めるかというバトえん感、人形浄瑠璃感がソシャゲの(傍から見 ていて)面白いところだと思っているので、青山さん「そんなんリアルタイムで連鎖するパズルとか入れたら面白いに決まってるやん、反則やわ。神田君はホンマにズルイです」(さくら荘風)ってかんじ。
まあね、こういうゲーム外のソーシャル性のことを言い出してしまうとこの世の全てがソーシャルゲーム になってしまうんだよね。モバゲーのコバケン氏とかがよく言ってますけどね。「ドラクエだって、本当は学校で友達とドラクエどこまで進んだ的な話するのが 一番楽しかったじゃないか!」系のやつ。
登壇者の人も、ソシャゲとゲーセンコミュニティとの相似形について語ったりもしていたので、これはなかなかこうだ! と言えない話ですね。コミュニティ性がゲームの中に機能として実装されてるのか、それともゲーム外で補完されるのかという話。


コンプガチャ

あとコンプガチャ廃止の扱いも、モバゲーでは売上には別に関係なくてぇー、みたいになってました。けど、売り上げはそうかもしんないけどユーザー目線では果たしてそうかな?って。

つまりですね、コンプガチャと、その後の売上補填策のパッケージガチャ(とかボックスガチャとか)、どっちもただの博打なわけだけど、コンプガチャのほうは「小目標を達成していく感」がユーザにはあったと思うんですよね。
そ もそも景表法で絵合わせが禁止されているその趣旨として、「原理的に後半にいくにつれてどんどん揃わなくなるのにパッと見それが分からないというかむしろ 徐々にステップを積み上げてる錯覚すらあって詐術的だから」があるわけだけですけど、まず「絵合わせとかマジ騙されるわーこれは騙されてもしょうがない わー」って前提で法律ができてるところで驚くべきですよね。えっ、法律ってもっとニュートラルなんじゃないのみたいな。

たとえば「就職率 100%!!」って言葉に釣られて代アニ入って人生詰む人がいても誰も「あれはズルイ、誰でも騙されてしまう専門学校ビジネスの闇。円楽殺す」とは言わな いじゃん。騙されるほうも悪いバーカバーカみたいな話になりますよね普通。でもコンプガチャの場合は「なんて卑劣な騙し方なんだ! これは法律で取り締ま るべき」みたいなかんじでエェェェってなる。ほんまに神田君はズルいです(さくら荘風)。

まあとにかく、その段々難しくなって行くことこそが、いつも跳べないハードルを負けない気持ちでクリアしてる感で良かったんだと思うんですよね。おわーらーないー。
パッケージガチャだと、1枚引くごとにどれかのレアリティが1枚減る、っていう形だから、目が細かく刻まれすぎてて達成感無いと思うんすよ。
だって僕のまわり、「コンプガチャは楽しかった、パッケージはつまらん」って言う人ばっかりですよ。


■グリー自滅説

で、 僕の記憶が正しければ、生ソシャでは上記のように「コンプガチャ廃止とかべつに影響ないっしょ」みたいな話もありつつ、「GREEが落ちぶれたのはコンプ ガチャ(や未成年課金GENKAI-TOPPA等のソシャゲの悪評を一手に引き受けたこと)の風評被害」みたいな話も出ていた。どっちやねん。神田君。選 んで(さくら荘風)。
その際に出た話として、


まあこういう話もあって。
でですね、ここでちょっと脇にそれてさくら荘の話を。


■さくら層の意識の高い人材達 ――努力、才能、金

1、さくら荘はトレンディドラマ
ここで唐突にさくら荘の話をしたいんですけれども。
なぜというと、僕がさくら荘(途中まで)大好きだから。

ぼ くの身の回りの人間で、さくら荘を熱心に見ている層(さくら層)とそうでない層の間には、かなり明確な傾向がありまして、これどこまで一般化できる話か分 からないのですが、一言でいうと、ニート、自由業者はさくら荘、見ない。見ても特に揺さぶられたりしない模様。逆に、じゃあどういう人が見ていたのかとい うと、もう、これが恐ろしいほどに勤め人ばっかり。

さくら層の根幹はラブコメですが、ヒロイン設定の味付けをしたり、話を駆動する為のモ チーフとなっているのはもっぱら「創作」や「才能」ですね。で、その延長線の先に「職能労働」があるという意味で、「トレンディドラマ(死語)」という概 念が成立した当時のトレンディドラマに近いかんじ。

 つまり、仕事(夢)と恋人どっちを取るのか? みたいな対立が措定というか擬制とい うか、され、それが途中で「夢を叶えなきゃ恋も実らない!」みたいな話にすり替えられ、後半思い出したように「やっぱ仕事(夢)と恋人どっちを取るの か?」みたいなのが蒸し返され、で主人公が無理矢理どっちか選びかけるんだけど、それが原因で両方取りこぼしそうになって、反省して「夢を叶えなきゃ恋も 実らない!」に戻り、最後はその延長上に「夢も叶えて恋も叶える! それが海賊王だ!」みたいになって終わる。

トレンディドラマ的なものの作劇法に於いては、ようは上記の問題のすり替えの奇術師的手腕が問われるのだろうと思います。で、そこでいう仕事とか夢っていうのは、定量的なマニュアルレイバーではなくて、「正しい答えが存在しない」系のクリエイティブなやつに限る。
だからそこで活躍するのは、「やりたいことを <やりたいように> やって評価されている人間」。さくら荘においては、そこへのクローズアップがあるような無いような、あると思ったら焦点が合う前にぼやけてしまうような、なんとも言えないズラしで話が延命しているかんじ。


2、だっておれら本当にやりたいことなんて何も無いし
  作中では、ましろ(や上井草)たちは彼女たちなりに「猛烈な努力」……努力というよりは実践?をしている(ことになっている)わけなんですが、神田とか、 仁さんとか青山さんとか、クリエイティブの周囲にいた人間が最も痛感していることは <「努力(実践)がさほど苦にならない」> とか、 <そのぐらい寝 食を忘れて没頭できることがある> っていう才能なんですよね。
凡人は、好きなことをしている最中であっても夜中になれば眠くなるし腹も減る。それを誰かに言おうものならこう言われるんすわ「それは、本当はそんなに好きじゃないってこだよ」。
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。

 でですね。さくら荘っていうのは、生活のために自分を切り崩してる人に響くんですよね。
な んでかっていうと、つまりトレンディドラマだからです。前述のトレンディドラマにおける弁証法(仕事≒創作≒生活VS恋愛→両取り)って、仕事させられて る人間じゃないと響かなくないすか。いや、凄く深い瞑想ののちに作品に向き合ったら分からんけど、そうでもなければ働かされてない人にとってはラブコメの 障害物が「仕事」でも「使徒」でも一緒じゃん? 一緒っていうかむしろ仕事とかいう辛気くさい障害物より使徒のほう見たいでしょ普通。


3、「コードが一行も打てない人は『巻き込み力』を鍛えろ!(適当)」

 営業上がりで変に口だけ達者で瞬間的には上手くいっちゃってる事業の人が意識高い大学生相手にイイネ乞食するときに使う自己啓発フレーズがこちらになります。
  最近はVRMMOモノの流行で主人公がふつーに強い設定とかよくありますけど、ついこないだまではアニメとか漫画とかラノベの主人公って張飛みたいなやつ ばっかりだったと思うんですよね。だいたい1話に1回は「だって放っとけねえだろ!」とか言うやつ。で本人は中の上くらいで頑張るくらいしか能がないんだ けど、無能な主人公が周りの有能な人間とか天才とかのハブとして承認される(「あいつがあんな表情を見せるなんて一体どんな魔法使ったんだ?」とか「あい つはお前じゃないとダメなんだよ」とか)流れで毎回仲間が増えてく感じ。さくら荘でいうとたとえば、

「気づいてないようだから、教えてやるけどさ」
「俺、ですか?」
「美咲や、ましろちゃん、それに龍之介なんかと当たり前につきあえている時点で、空太は十分何かを持っている人間なんだと思うぞ」
「持ってるって……俺は普通にしているだけですよ」
「それが普通じゃないんだよ。個性の強い連中と付き合うのは、面倒だし、疲れるし、むかつくし、ウザイし……そういうのを飛び越えて人と向き合えるのは、間違い無くお前の長所だよ。その点は、俺が保証してやる」
(5巻P353)

  こういう傾向ってじつは、特に女性向けの作品に多い気がします。つーか乙女ゲー(の少女漫画由来成分/宮台真司が言う「乙女ちっく」的な要素)ですよね。 理由はたぶん、女性は頑張っても経済の主体たりえないことがほぼ確なので、そうすると自身で何か達成しても承認には結びつかず、それよかいかに社会的地位 の高い男性からの承認を得るかが全的な承認とほぼ同一になってるからだろうという。
 だからさくら荘もこの構図における男女を反転したものになり ますね。つまり主人公は何の才能も持たず、せいぜいが「放っておけないお節介な性格」程度で、そこにましろレペゼン天才が全的な承認を与えるという構図に なります。「天才・椎名ましろが傾倒する神田空太」であることで空太さんははじめて語るに値する大人物になれる。
 もはや男性であっても必ずしも経済の主体とはなりえない時代の産物ではないかという。
『さ くら荘』では他にも、なんでも絵画で表現しようとする=非言語的存在であるましろを形容するために、地の文と空田の説明セリフが増えるという転倒があらゆ るところで起きていて、そこに「絵が無いと成立しない小説を書いている」という著者自身の苦悩が投影されているような気もして、これも創作産業論の中に位 置付けてみると色々とメタフィクショナルな意味合いが生まれてきて趣き深いです。
 でまあ「コードがかけない人は~」とか言っちゃう人はスキル的 なものは基本何もないのでその後パッとしないままエンジニア達と物別れになることがよくあるかと思いますが、まあでも天才に勝とうとするよりは天才に好か れようとするほうが良いのでは? と思うんですよね。そう思うひとつの理由が次に挙げるようなお話です。


■天才不要論 ―遠慮は罪

  gloopsっているじゃないですか。すごい、、、大手のSAPの。爆速PDCAとか集合天才とか言ってる。まあたいがいのSAPさんってこういうこと言 いますよね。「KPI至上主義です」って。ドリコムとかもみんなそう。ってか集合天才はドリコムのほうだっけ? まあどっちでもいいんだ。要約して抽象し たら全部言ってること同じ。「ビッグデータが全て語っている(キリッ」的な、「感性に頼らず数値に基づいた運営(キリリンッ」とかその手の。
まあつまり工学主義ですよね。
よりくさして言うとマニュアル対応。前段の「GREEから多様性が失われ自滅」って話も、なぜそうしたかって「データみたらそっちのが売れそうだったから」って話なわけじゃないですか。
い や、すごいと思うんですよ、ちゃんとログから有意な変動を抽出して、仮説立てて実験して。でもその印象だけが一人歩きすると、『快感フレーズ』のライバル キャラで「日本人が好きな音楽をサンプリングして作った僕の曲が最強だ!」みたいな人がいたけど、あのノリになりませんか。
 しかもロジカルに!  データで! PDCAが! て言う、でもその割にあっち系の人って、自己顕示欲すげぇなと僕は思う。いや、gloopsが、ってことじゃなくてね、あく まであっち系統の話ね。合理性を標榜するわりには、明らかに非合理的なその「オレがオレが感」滅却できてないよねという。なんかこう、岩崎大介、もしくは 池田信夫
GREEの「ずっとコンシューマの人っすか。任天堂の倒し方知らないでしょ?」って都市伝説ありましたけど、あれなんか典型ですよね。 まあ捏造かも知れないけど、「橋本知事小学生にツイッター義務化」みたいなもんで、「あのへんの人達なら言っててもおかしくない」って思われたからあれだ け広まったわけで、ソシャゲ界隈の人って実際ああいう挑発的な言説好きですよね。

それって、天才は死んだとか天才は要らないとかそれ系の話にもつながっていくと思うんですが、要は天才に対する秀才(または凡人)の嫉妬だと思うんですよ。

中には、「僕らは天才じゃないんで、まあこうやって目に見えるとこから積み上げるしか無くて」みたいな学派もいるんだけど、トータル的には「データ! 仮説! 成功! 天才isデッド!」みたいなハシャいでた人が多い印象。
 それって天才に対する嫉妬の裏返しじゃないですか。ましろとか美咲先輩みたいな天才に対する嫉妬。クリエイターではない人達のクリエイション。


■おまとめ

  鈴木みその取材漫画で「世アニ的な学校がマジでヤバイ! 穴埋めで武器名とか設定させて企画書とか言ってる!」ってシーンがあったと思うんだけど、ソシャ ゲの設定ってアレを地でいく世界ですよね。システムは80%くらいの部分が共通なので、あとはタイトル「□□の△△△△」の□に漢字△にカタカナを入れなさい、的な。「硬水のボルヴィック」とかそんなん。せやけどそういう、設定面とかのクリエイティビティでは「またかよ」って感じの、本来なら「ラノベの新人賞ではヴァンパイアって単語が出た瞬間に落とす」的なフィルターに引っかかっちゃいそうなコンテンツでも月商何千万とか出た、っていうのは、けっこう解 放感のある話だと思ったわけです。少なくとも、クリエイターになりたかったら「おう! 好きなら最初の5年はタダで働けるよな!(迫真)」みたいな徒弟制 度しかありません、とかいう世界よりはずっと正義だと思ったわけ。
 なんの話だっけ……。
 ああそう、つまりですね、まとめますと、

・僕個人としては、ソシャゲというものを見るとき、現象面の「よくわからんビキニアーマー的な物体にオタだけじゃなくてDQNもお金使うようになったからメッチャ儲かった」というところから見るのが好き

・ そういう状況があったので、クリエイティビティ的な意味ではわりと中途半端な人がいろいろ出て来てたという状況ではあったと思うけど、そのぬるさから出て くるものとか結構好きだった。設定と絵だけあればいいやっていうある種のフェティッシュ、それはそれでそういうもんじゃないかと思う。攻略本眺めて楽しむ のと似てる

・上記を効率的に実現する為には畜群管理的なKPI主義が有効だった。ドゥルーズ的な。

・でもKPI「至上」主義は天才クリエイターへの嫉妬の裏返しでもあるように思う。ここでいう天才っていうのはまあ椎名ましろさんとか。

・まあでも天才じゃない人は天才に勝とうとするより天才から求められるのを目指す感じでいいんじゃない?


あんままとまってないですけどー、忘れないうちにメモっとく感じで今日はこのへんで。

最近始まったDLsiteのエロソシャゲも頭がおかしかった

やあ。皆様いかがお過ごしかな。
グリーが散々なことになってきて、モバゲーは頑張ってるけどこの先どうだか……って状況になり、にわかにエロソシャゲ市場が活気づいていますね。活気付いているっていうより調子付いていますね。
調子付いてるDLsiteの知人から「ステマしくよろ」と頼まれたので、よっしゃ一発見てきたるか。と思い、見て来たわけ。

『探索ヤリランド』を。
http://nijiyome.jp/app/top/11

ヤリランドって。そんな、みんな思っても言わないことを……。
やる気あんのか?
いやヤる気は満々だろう。そういうヤるヤらないの他にもリーガルなヤりあいというか具体的にはグリー株式会社の法務部とのヤり取りがごっつぁんですな感じだ。
グリーは相撲カードゲームやにんてんドッグスのパクリなど作っている場合ではなく、逆転裁判のパクリゲーを作るべきだよ。

ほかにもね、ファンタジー系の『ばるはらばるきりーず』とかもあったけど、まあアレは普通にエロいゲームしてるカードバトルだったから、説明要らんでしょ。
でもヤリランドは説明要る。

切実に要る…。とても切実にね。

で、見て来たらイベント開催中だったんだよね。
イベントって分かります? まあ「エロ ソシャゲ」とかでググってこんなブログ見てる人はそれなりにソシャゲ経験あるからわかりますかね。
まあ通常のクエストパートとは別の、なんか課題与えられてクリアできると限定カードとかが貰える、みたいなやつね。
はいじゃあその課題ってのやってやろうじゃん。

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「イチゴの王国を探索! ビニ本を手に入れよう!」
えっ!? あっ……? ビニ本!?


ああ、まずイチゴの王国って何? 的な話から入りますけど、まずこのゲームの基本的な世界観として、ヤリランドって女しか居ない異世界があるわけ。で主人公はそこに連れて行かれた只一人の男なわけね。
どっかで聞いたことある話よね。
「ヤリランド」って名前意外はね。

で、その女しか居ない世界が女の性欲で分断されてしまったので、ちんちんで再統一して統治するぞっていう、まあ精神分析的な話なわけだよね。

普段はその「ヤリランド」を冒険していくわけなんだけど、こういうイベントの時は特定の課題をこなすことになると。でそれが「ビニ本の収集」であると。

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「探索していると『ビニ本』が手に入ります。(1冊=1ビニ本Pt)」

 

……女しかいない国でヤりまくり!的なテーマは……?

そして敢えて「ビニ本」を収集しようとするその倒錯したストイックさは……


ていうか「1冊=1ビニ本Pt」って、それ普通に1冊2冊ってカウントしていけばいいじゃん、ゲームシステム的に。なんなの、必ず「ポイント」って表現しなきゃなんない何かがあるの?
まあ、もういいよ。はいはい集めればいいんでしょ、集めれば。

と思ったけど、とにかくソシャゲではゲーム「っぽさ」が大事なわけだよね

ソシャゲではただのカード集めを「RPG」って言ったりするのは周知の事実

それを踏襲しているヤリランド、意外と勢いだけでは無いのかもしれん

 

探索開始

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異常なし。

 

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異常なし。


 

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異常なし。もっと探さk……えっ!?

 

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バイブだ……
ヴルヴルヴァイヴだこれ
性具ですわ完璧

 


あとよく見たら遠くのほうに女の子が通学してるけど
この日常と背中合わせの異常世界な感じがスゴイ
それこそ原義的な意味でシュルレアリスム


気を取り直して探索を続けよう


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何も無かったかのような
余所行きの街 Ah(作詞ガクショウ)

 

うわ!

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女性(にょしょう)の股ぐらから


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カードが。
動揺のあまりキャプる手が躊躇った。

 

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カードを得て進むと、

女の人が倒れてた!
「LOCK ON!」とかゲスを通り越してもはやサイコパス
助けろよ

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ムダに動く!
エロい場面でも動かないのにビニ本は動く。
なんなんだこの無駄な努力は


とにかくビニ本を手に入れた。


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いや、女の人は!?



 

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人の話きけ!
「LOCK ON!」じゃねえ!
っていうか

街中で椅子ごと放置されてるのが謎すぎる
何もかもが説明されないまま進行するし説明されたことは悉く裏切られる

 

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「性欲が不足しています!」ってアイテム使ってまで回復させたくないよ。せっかく無くなったのに!

 

でももうちょっと頑張って進もう

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回復した途端これ

 

っていうか

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男いるじゃん!
設定は!?


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当然説明など為されぬまま
上から……来る

礼・性・乖離・邪鬼(Dir en grey『羅刹国』

 

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上に気を取られていたら死角に刺客
たぶん「プレイヤーが唯一の男」っていう設定を今になって思い出したっぽい
っていうかさっきの男、あれはもしかして他のプレイヤーっていう設定なのかも
だとすると深いな

 

 

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手前の奴らに気を取られてる間に迫ってきてた
ターゲットアイコンと相俟ってもはやTHE HOUSE OF THE DEAD


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バイブ



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怒られた
時々思い出したようにこの設定が出てくるな……



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ロックおn……
えっ……?

 

 

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多い!!
なんていうか、


 

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これ思い出した(無断転載です)


 

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でしたね。

 

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SEIATSUした。

マジ楽勝っしたわ。


ボス戦はすごい普通のソシャゲだったので割愛
ちなみにエロスっていうのはゲーム内の通貨単位
EROSが通貨として流通ってすごくフロイト―ラカンですよね

女っていうのはヒステリーで、国が分裂したっていうのはスキゾフレニアな。
つまり強迫と分裂症が交互に顕在化するっていう西洋文明のメタファーですね。

これ深かったわ。


なんかこうだらだらとした紀行文みたいになっちゃいましたけど
エロソシャゲは最先端のアウトサイダーアートだったと言える


DLsiteの某くんは頑張ってこの路線を追究してください
あと某GREEから訴えられないのかなと思ったけど
そもそもGREEさんがともだちドッグスけしかけて任天堂噛み殺そうぜとか完璧ガンギマリ状態なこと言ってるのでそれは無いな。
あと釣りスタパクラレ宣言も却下されちゃったし

万一訴えられた時には中の人自ら盛大にスレ立てしてほしい

次はもっかいDMM記事書こうかな

 

 

 

2013/4/21追記

上記もろもろの画像、およびビニ本を集める固有のゲームシステム等は『探索ヤリランド』を運営するモバイルエンターテイメント株式会社様に帰属させておきましょう。また引用したバハムートラグーンの画像の著作権は深刻な赤字を抱える株式会社スクウェア・エニックス様に今のところ帰属しています。

あとは好きにやります……。

志倉千代丸の長期的な前フリが実を結んだ背後で岩崎大介が行ったたった一つのこと

いや影でっていうかはい。なんもしてないっていうかいつも通りゲーム作ってただけっていうか、どっちかといえば紹介された側だと思いますが。

 

2010年10月9日

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https://twitter.com/chiyomaru5pb/status/26837379777

 

   ↓

 

2012年3月19日

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http://fship.jp/wp/lucian-beesソーシャルゲーム化)

 

約1年半かけて前フリみたいな……。

っていうか、出てるの今知った。GREEに出す時点である程度集金コンテンツという割り切りが必要だったと思うんですけど、そこでルシアンなあ……。

明らかにヤマノテBOYSのほうがソシャゲ向きの題材なんだけど、とりあえずルシアンで出してナレッジ積んでヤマノテパッケージ後に本格的に……って思ってたらルシアンがびっくりするぐらい売れなかったからヤマノテのほうもちょっと考え直すわ……って言ってるうちにGREEとかモバゲーよりAppストア直置きっしょ! みたいになってもうついていけないなう、みたいな状態か。

 

そもそも岩Dのコンテンツは基本的にマスのほうを向いていない。濃い。高ARPPU前提。あと前田浩孝の絵がIQ高すぎてソシャゲに向かない。少なくとも、心神耗弱状態を利用して青天井に課金させるタイプのソシャゲには向かないと思う。

 

 

ただのネットストーキング記事でした。

こういうの書いてるとじぶん本質的にグルーピー体質だなぁと感じる。

そういえば代官山のMAGES.スタジオは、1年間ぐらいずーーっと改装工事してて何だろうと思ったけど、この間通りかかったら完成していた。

DMMのソシャゲで爆笑を禁じ得なかった

後発の新規ソシャゲプラットフォームにとっては、すでに固定客が付いてる既存のプラットフォームとどう差別化するか?みたいなのが大変大事なのは誰でもわかるわけだけどさ、たとえばそこで某ヤマダゲームみたいに「ヤマダポイントが使える!」とか言ってもしょうがないじゃないですか。行かないしポイント持ってないしヤマダ電機。じゃあどうすんの?エロでしょ。エロの総合商社といえばDMM。エロソーシャル始めるのも早かった。だから僕も、かなり初期からDMMのソシャゲはウォッチしてたんだ。

 

それで、だいたい半年くらいかな? 経ったあたりですげー変なタイトルが目に入ったんですよね。しかもなんか「ライトソーシャルゲーム!!」とか打ってあって。ライトって何だと。ゲームのライトになったのがソーシャルゲームじゃねえの?みたいな認識だから。さらにライト。比重が軽くなりすぎて視界に入って来なそう。でも頑張って見て来たよ。「やっちゃえ!!酔いどれ娘」ってやつを。

 

 

いきなり出たね。女の子がね。

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……右下の「飲酒」ってボタンが既に出オチで面白いんじゃね?

全体的にテキトーなシェーディングの中、ボタンだけ異様にリアルだし明朝体だし、「飲酒」って言葉も漢字2文字でなんか硬い感じだ。

さっそく押したら、クイックすぎて写真に収められなかったんすけど、なんかおちょこが出て来て酒が滴った。で、画面上下のバーがいきなり削られた。

 

 

喋った。

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喋ったといっても、むろんボイスでは無くてだね。

あと、このテキストの感じがいいですね。

なんか、すごく才能のある、でも本職ライターじゃない人が超片手間で書いてる感じ。

このバーをお酒で減らして行けばいいわけなんだねえ。なるほどねえ。

でもなんでこのバー、端のほうだけ太いんだろう。

まあとにかく気にしないで飲むよ。

 

 

脱げた。

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重力に逆らった面妖な角度で服が脱げたが、こちらも酔っているのでまったく気にならない。せいぜい、あ、ポルターガイストってヤツかな、ぐらいの感じ。

女の子のほうも、酔うと馬鹿になるタイプの人の酔い方がイイ感じに出ている。気がする。酔っぱらって欲望ダダ漏れになってる女の子って可愛いけど、普通のエロゲーとかだと女の子の年令のこともあって、飲酒シーンって出てこないんですよね。あっても「水と間違えて飲んだ」とか、そういうイレギュラーなシーンだけで。

それはそうと……

 

 

理性を奪った!

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奪ったけどなんも貰えねぇ! チュートリアルだからかな?

いやぁ、チュートリアルならそれはそれで、なんか貰ってレベル上がるとことかまで見せとけばいいじゃん。

それにしても「奪った!」っていきなりクる感じがいいですねえ。

なんかこう、「飲酒」ボタンと言い、画面全体は弛緩し切ってるんだけど、どっか1カ所でビッ! と締めてきますよね。このメリハリ、たまらない。

 

 

エロシーンはじまた。

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僕「オマエ、エロイ目してるな。」

いやいや言わないし。どんだけ雑な説明セリフだ。

あ、いや、説明セリフってのはつまり言葉責めの一種?「もうこんな風に溢れていますよ?」的なやつか。と思ったが、完全にこちらが責められてるではないか。しかも、チュートリアルで出るキャラがいきなり足コキというのが凄い。きょうび足コキなんて珍しくもなんともないが、とはいえ「ライトソーシャル」と銘打っていることもあるし、普通に正常位か後背位でよかったじゃないか。

しかもよく見たら髪いじりながらだ。「ピンチなり」とかほざいてた人とは完全にキャラが違っている気がするが、酔うと嗜虐的になる二面性のある人格なのだろう。意外に練り込まれたキャラクター造形である。

髪をいじっているのは案外重要で、なぜならこの絵でいじる髪が無かったら半跏思惟像そのものだ。

 

 

名前を呼んでくれる!

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無論テキスト内のことだけなのであるが。

あ、ラーメン二郎っていうのは僕のゲーム内の名前。

声が出ないのはケータイゲームなのでしょうがないんだけど、「あぁん。うーーーん。」はこれボイス付く前提で書いてるんじゃないのか? じゃなかったら書いた人の頭の中ではどんな音で再生されてるんだ。

 

 

まさかこんなエッチなことが!

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「言い様のない興奮と快感に酔いしれていた」って、いきなり言い回しの偏差値が20くらい上がったぞ。ラーメン二郎、おまえはさっきまで「オマエ、エロイ目してるな。」とか言ってたんじゃなかったのか。しかも最後の「酔いしれていた」が実際フィジカルに酩酊していることに掛かっているポエティックでシアトリカルな演出。

あと今頃右上に「スキップ」とかあるけど、今頃遅ぇよ!

 

 

応用編

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「他の女の子も同じやり方で、エッチなことができるんじゃないか?」

いやいやいやいや。ムリだよ。やめとこうじゃん。やっぱり馬鹿だったわラーメン二郎。でもそのポジティブさは評価してあげたい。

 

 

チュートリアルが終わった!!

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おお!なんか凡百のソシャゲと比べて、UIからすでに斬新だ!

しかも他のソシャゲなら「クエスト」だの「ガチャ」だのって通り一遍の分かりきったボタンが配置されてる場所に「テレクラ」とかわけのわからんボタンがある。

 

いやー、なんかとりあえずやってみたけど、エロいかどうかっていうよりこれ普通に面白かった。正直デザインとかのプロダクト的なレベルは決して高くないわけなんだけど、なんか10年くらい前のベクターとかにあったハンドクラフト感溢れるインディーズゲームと同じ臭いを感じたので、わりかしオススメです。

 

※この記事に含まれる画像、および「オマエ、エロい目してるな。」等のテキストに関する権利は、全て株式会社DMM.comラボに帰属すると思います。

 

 

なんの話だったんだっけ?

まあいいや。

今回から、ブログをこの1個に統一しました。

2個あってもログインがめんどくさくて何もしなくなりそうです。